「自分が優しい」と思ってる人

みんなは自分のことを「優しい人」だと思ってる?逆に「冷たい人」だと思ってる?

優しい人じゃなければ全員冷たい人ってことは無いとは思う。でも、明確に自分を優しいと認識してる人が、正しく優しいかに関しては、なかなか難しいところがある気がする。

二択であれば、僕は間違いなく「冷たい側」の人だと思う。幼稚園の時僕をいじめていた子が怪我をした際、「ざまあみろ」と思った時からずっと、「あまり人に優しくした記憶がない」。

「優しくする」とはどういう行為を指すのか。そもそも「優しい」とは、、、

・・・辞書を引いたら意味がムチャクチャ出てきてこっちが引いた、、。

特に古文で使われるようなものを除くと、

・周囲や相手に気をつかって控え目である。つつましい

・おだやかである。すなおである。おとなしい

・悪い影響を及ぼさない。「肌に―・い洗剤」

・情深い。情(じょう)がこまやかである

・けなげである。殊勝である。神妙である

こんな感じか。

 ん?僕が思ってたイメージとちょっと違うぞ?

強いて言えば上から4つ目の「情深い」が近いと言えば近いけど、「控えめでつつましいから相手に気を使う」それを優しいと言うのは、何か違う気がする。控えめでもつつましやかでもない人にも、気を使う人は居ると思うし、相手に気を使うだけが優しいの本質でもない気がする。気を使っては居るけど、相手が一切優しさを感じないケースだって全然ある。
※例えば、偉い人と偉くない人が居て、誰から順番にビールを注ぐかみたいな状況下とか。注がれた偉い人は「優しいな」とは絶対思わないし、注いだ側は「気を使って順番を決めてる」可能性が高い。

では、僕が思う「この人優しいな」と感じる瞬間はどう言う時なのか。口先だけで体調が悪い人に「大丈夫?」と声がけするような人は、僕の中では「一ミリも優しく感じない」。それはその状況でそう口にするのが「当たり前」だと思ってるだけで、つまりは条件反射みたいなもの。

 優しいのは、(例えば仕事中)その人を気遣って「早引けしていいよ、あとは僕が(私が)がんばるから」と言える人。

「気遣った上で、自分が不利益を被ることが出来る人」こそが、優しい人だと思う。気遣うだけでは、口先だけ。では、例えば従業員が風邪や子供を理由にどうしても休みたいから、店長店に出て、と言われた場合はどうか。

 許可するし、その負担は自ら補填はするけど、そこに気遣いはない。

「当たり前」だと思ってやる補填は「優しさじゃない」。

優しいとは、実は「非日常的」な感情で、自らを優しい人だと認識してる人は、実際はこれっぽっちも優しい人じゃないと僕は思う。いや、ちょっと違うか、

 周りが「この人は優しい」と強い共通認識を抱くような人は、その人自身自分のことを優しいとは思ってない可能性が高い。「ついつい貧乏くじを引いちゃうんだよね」と、もしかしたらストレスを感じ続けているかも知れないし、「当たり前でしょ」と思っているかも知れない。

「俺物語」の中で、主人公の親友が、主人公に、

 「友達が困ってたら助けるのは当たり前だろ」

ってセリフがある。それを主人公は「優しく感じた」のだけど、親友はそれを「優しくしたとは思ってない」。そもそも、

 みんなは、最近日常生活で誰かを優しいと感じたことある?

もしくは(自分のしたことを)感じられたことは?

それって、「優しくしようとしてしたわけじゃない」よね?それってつまり、

 優しいと自分で思ってる人は「居ない」ってことになるのでは?

じゃあクリスも優しいってことになるのかどうかは、意見が分かれるところだと思うので一旦置いといて、親が子供に、「優しい人になって欲しい」って願いを掛けたりするのは、存外「無理難題」なのかも知れないな、とも思った。

 優しくなる≒気を使う≠性根が優しい

もしかしたら嫌々気を使ってるかも知れないし、でも気を使われた側はそれに気付かず優しさを感じるかも知れない。対外的に「あの人は優しい人だ」と認識されている人が、内面でどう考えてるかなんて本人にしか、いや、本人にもわからないことがあると思う。

一見何も生み出さないような話だけど、ひとつ僕が「こうであればいい」と思うのは、

 自分が優しい人であることを否定しても、人から優しいと思われる行為には意味があるし、それが当たり前だと思えるのは、

 結構かっこいいと思う

と言う話。つまり、僕は僕が優しいとは一ミリも思ってないけど、僕は僕の中の正義に則って「当たり前」を行使し、その上で優しいと思われたらいいな、と思う。

 自分は優しい人じゃない。でも他人から優しい人だと思われるのは悪くないかも知れない。

・・・何か違和感が残るのはなぜか。「自分はそうじゃないのにそう思われること」の勘違いゆえか。いや、やっぱ上のは違うわ。「他人から優しい人だと思われたいわけじゃない」わ。

理想は、

 お互いがお互いを当たり前のように気遣い、気兼ねなく居心地イイ状況を維持継続出来る事。どちらもが自分と相手を優しい人だとは思わず、でもやってることは世間で言う「優しい行為」であること、、、

「優しい人」って、きっと「気遣いの当たり前の半径が広い人」のことだと思う。だから本人はストレスじゃないし、周りは気持ちいい。そしてそういう人になるにはたぶん、

 余裕と強さが必要なんだと思う。

余裕がなければ気遣いも出来ないし、強く無ければ当たり前だと思わない。僕は、(フィジカルはともかくメンタルは)強いから当たり前だと思えるけど、あまり余裕はないから気遣いが出来ない&しない。

 「優しい道」は結構険しい。

ちなみに、芸能界で「この人優しそう」と思う石原さとみや明石家さんまなんかは、まさに「余裕と強さ」の両方を持ってる人だと思う。

 あなたは持ってる?

▲▲▲。イイ感じの自己満足。

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書き終えてから思ったけど、

 ※ただしイケメンに限る

はあるかも。イケメンじゃなくても、ある程度「好感を持てる人」であることは必須条件。「優しくする側」と「優しくされる側」の関係性も無視出来ないかな、と。

 「優しくする側」の中には、不特定多数の「誰彼構わずに振りまける剛の者」も居るとは思うけど、

そう言う凄い人であっても、「優しくされる側」がその行為を「優しさだと感じない」、「ただのおせっかい」と思うこともあるわけで、条件の成立には「お互いの人間性」も必要条件になるね。

 険しいわ「優しい道」。

ま、僕は目指さずマイペースで行くけどね。

余談だけど、自店のお客様とお話する際に、「全面的に同意しない」ことは凄く心がけている。もちろん「全面的に同意したくなる話」であれば、大きく頭を振ってYESをまき散らすけど、誰彼構わず「お客様であるから」と言う理由だけで、全ての人を肯定したりはしない。お客様の中にはある意味対立する意見の人だって居ると思うし、

 Aさんに対して同意したことがBさんに対して裏切りになる

なんてことも起こりうる。だから、相手を尊重する、つまり「優しくできる対象」である場合でも、「必ずしも同意するだけが優しさではない」って思う。自分の意見は自分の意見として曲げずに、上手く着地出来るところを探す。

 それを上手く見つけられるかどうかが、「腕の見せ所」だと思うしね。

なんだか政治家みたいなこと言ってるけど、「反対意見なのに納得させる」ってのは、本来不可能なことだから、「反対意見をそう感じさせないように上手くごまかす」って程度の話なんだけどさ。

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